昭和四十年七月二日夜の御理解
おかげを受ける受けないと言うのは、わたくし達の心の動きが、これは本当にチョットしたチョットした心の動きそのものが、おかげを受ける心であり、おかげを受け漏らす心になったり、チョットした手数?それが実意として、受け取られチョットした事が、おろそかにされた為に、それはもう実意を欠いた事になる。信心させて頂いているものは当然こうあるのが本当だ、
と言ったような事をチョット間違えるともう、信心が?例えば人は言わなくても、神様があれだけ教えとるのに、と神様が思いなさるような事になりかねないですね。先ほどご祈念前に、神様親先生のお母さんです、幼稚園をしとられます委員長先生です、あちらは大体こちらのご信者さんじゃありません、息子さんはここで信心の稽古をさせて頂いて、もうあの人ばかりは、椛目にお預けしておるから、
どんな場合でも安心が出来ます。自分はやはり吉井教会に長年ご縁を頂いて、まあ信心なさっておられる方ですけれども、椛目の御造営があると言うので、調度おかげを頂きましてから、三年間三年間その日から、ずーとこう積み立てをさせて頂いておったのが、調度三年間で十万円になった、しかも今日がその満期であった、だからそれをすっこしつりさげ??御造営の一端にでも、
使うて頂きたいと言うて、ワザワザ今日夕食前でしたが、持って見えられてから、先生の話しなんです。本当に先生たかはらって信者がいますから、もうたかはらの事はもう椛目に、お預けしとるからどんな場合でも、安心しとりますと言うて、えーまだ病院を開業いたしまがしてまもなくの頃、あたくしの方からおりました、看護婦があたくしの方へ来てから、
うちの先生ばっかりはチィッタ馬鹿じゃなかろうか、と言うてから笑う。どうしたですかと言うた所が、今日患者さんが見えてから、ソウハをしてくれと言うて願いに来た。所がまだ、あー実際は、あー妊娠してるかどうかも分らない。だからそんな分らないものをする訳いけないと、言って先生断わんなさったですもん、ほんにうちの先生ごと馬鹿はないち言うてから、
看護婦が笑いました、ち。もうほんなこつあんな風じゃんね、あの人はち言いながら、自分も心のなかでそれでこそ椛目にご縁頂いておる息子だと思いました。ただそれだけの事なんです。ね、これが普通の産婦人科のとこ行った、そりゃ事実がそうだそうですね。どうなくても手術せんでよくても手術するとか、ね、結局お金を取ると言う事が、主であって言わばその人が助かると言う事は、
もう第二のように思うておるのが当たり前のようになっておる。看護婦もいままで土日の労を知っとうもんですから、うちの先生はえらかじゃと言うて笑うたと、けども笑われてそれでこそ信心で、えー椛目で稽古しておる訳があるとこう訳なんです。ね、それ??心が動くひとつなんです。チョットづつはら??チョット??そうする事が信心なんだ。調度ご祈念の時あたくし、
飯塚にどうを入れさせて頂き、?あちらの大久保先生に、お願いしたい事がありましたから、古賀先生を呼び出して、その事を依頼されたんです。しばらく待つけど出てこないんです。そしたら先生出て見えましてから、まあどうかあった??慌てて出てそれ聞いたとたんあたしの心の中に有難いと?言う気がするんですね。うんあの人がチョイチョイ病気出してから、寝込まんじゃったじゃろか、
とおもっとったら、?いいえ風呂に入っとったから暇がいったんだと、その事あたしただ今、古賀ゆくじのお届けさせて頂いてから、神様におかげで元気で御用が出来とるようでございます。御祈念させて頂いたら、私頂く事が、ちょっとした事が信心チョットした事が不信心。??二年間ではありますけど、私の信心頂いて親教会に帰った、言うならば本当の?ないけれどもです、
元気な顔?を有り難い?なーと思うた。その思うたからそれこそ?神様に申しあげた。そういうもんだ信心とは、。そう言う事夕べの月並祭の、お歌をもう一遍頂きたいと思うてから、先生英語の御理解聞かせてくれとわたくし?、ご教導しよったんですけどないんです、あれこれかけてみよったけど入ってないんです。だから今日は妹が参って見えたから、伊万里に貸したのがそうだろうと、
大体ああたがたは本当折角こうやってそれこそ高価なものをです、あたしが朝晩つたえさせて頂く事、月並祭になんとかして頂くお話を、全部取っておきたいと言うて、それこそ見事使わんようにして、このテープをお供えしてある方があるのに、その方の真心に対してもその事を??わたくしが、ね、何故、?月並祭の御理解何月何日朝の御理解ただ?話してもあるし、言うてもあるけれども、過去チョットした所??、これはチョットした実意が、
ない為にそう言う結果になって来るんです。ね、例えば?勿体ないとかなんとかじゃないです。言うならばその御理解の内容こそが、神様取っておきたいと思し召すこらこそ、そう言うあいしてを?通して、介して?下さっておるんです。まいにち御理解あるとじゃけん?けっさん、ね、??????貸してしもたり、これはチョットした実意を欠いた、チョットした事が、
所謂実意を欠いた事になるのだから,実意とはただそれだけの事、ね、これは桜の何月何日の月並祭の御理解だと、ふでごとにかいとってももう使わんのだからそれでいい、それで???いいじゃないか、チョットした事を実意を欠く。実意丁寧とか何とか言うならです、実意を欠いでおる事がこりゃ誰か責任者を作ってから、こりゃ出しとかにゃいかんよ、と今話した事でございますけれども、
これはチョットした実意を欠いた事が、おかげを落とした事のこれはまあ言うなら、今日の御理解の見本のようなもの、チョットした事を例えばわたくしが、思うた事だけをわたくしの心の動きだけがです、もう?信心でありまたあー電話が通じたと、??言うだけではなくてです、その神様に元気であった事を、お礼を申しあげて始めてそれを実意として、始めて神様は受けてくださるんだと、
ね、例えする事なす事に置いてもそうだ、信心させて頂くものはです、親のある子とない子程の違い程のおかげを頂くんであるから、親のある子とない子程にです、する事言う事ちぃっとちごうとかないけん?お医者さんならば、看護主義でそれをすぐ患者として、取り扱うだろうけれども、親先生はそれから、信心芸を?ハッキリそれをしなければ、それが出来ないと言うて断ったと言うその事が信心なんだ、
ちょっとした事でしょうが、ですから例えばお母さんにです、あの人は椛目に預けてあるから、あたくしが安心しとりますと言うような、事にまでおかげを頂いておる訳なんですよね、あたくしは実意と言う、実意??実意丁寧に行うとか、言う事はチョットした事から始められなければならない。チョットした事を抜きにして、後をいかに立派にした所で、もうそれは実意丁寧じゃないと、
言う事になるんですよね。おかげ頂きました。(井出一憲)